もう限界にきているのなら、これまでの当たり前を疑う。

人は、環境の生き物。

そして、習慣の生き物。

 

だれしも、

今おかれている状況をもとに

さまざまな物事を、判断している。

 

そして、自分の周囲のひとたちも

同じように判断しているのを見て、過ごす。

 

そうすると、何が起きるのか?

 

価値観が固定されてくるのだ。

 

 

 

そして、自分の周りにいる人たちが

世界のすべてであるかのように

錯覚していく。

 

 

周りのひとたちの価値観に埋もれて生きているとき、

 

 

本当に自分が望んでいる人生のことなど

考えないようにしているか

もしくは、願うことのないように

封印している。

 

 

やがて

本当に望んでいた人生は

どこか知らない世界の

夢物語のような

ファンタジーの世界の話のように

感じられていく。

 

 

 

当たり前を疑うのは

難しいこと。

 

当たり前を疑いはじめたら

今の自分の足元が揺らぎ始めるのが、薄々わかっているから。

 

 

みんな、

そんな怖いことは、したくない。

 

 

でも、自分をごまかして生きるというのは

やがて限界がくる。

 

 

限界が来ても、認めずに必死にごまかしつづければ

さまざまなシグナルが

メッセージとして

人生におとずれる。

 

 

そうならないためには、どうすればいいのか。

 

 

人生にトラブルが起きる前に、

自分の価値観を、定期的にアップデートしていく必要がある。

 

 

人は、ただ経済活動をするために、生まれてきているのだろうか。

 

少なくとも私は、過去の人生で

生活のためだけに働くことに限界を感じた経緯がある。

 

 

今の人生に、疑問を持っているのなら

その疑問こそが

本来の自分からのSOSなのかもしれない。

 

 

無視して、麻痺して

人生が「トラブルという名のメッセージ」を投げかけてくる前に。

 

 

自分のホンネを救出しよう。

 

 

 

剣れいや

 

 

 

「もう限界にきているのなら、これまでの当たり前を疑う。」への 1 件のコメント

  1. 過ぎてから実感するんです。
    あのときこうだった、と。

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