幼い頃の生育環境は、選べない。
自分で選んだのか
選んでないのか
そんなことはどうでもいい。
生身の自分が感じていることが
真実だったりする。
真実は、
カラダが語っている。
ココロが知っている。
ただただ、苦しくて
ついには怒りを覚え
それをさらに封印して、無気力にまでなって
そして気づけば、ココロがゆがんでしまっていた。
それが事実。
それを受け入れ
「そこからどう生きるのか?」を模索していくことが
まぎれもない自分の人生を生きていく、ということ。
それに真正面から立ち向かっていくからこそ
夢うつつのままで描く「使命もどき」ではなくて
生身の自分で体得した
「これが使命かもしれない」というものが
進む道の先に、視えてくる。
見たくないものを無視していたら
本当の望みさえ見えなくなる。
だから、いちど、
ありのままの現実を、受け入れる。
口でいうのは容易い。
「ただ受け入れる」ということの難しさは、言葉では言い表せない。
それも受け入れる。
環境を責めて済むことでもないし
自分を責めて解決することでもない
だからこそ
ただ、受け入れ
ただただ、前へと進む。
剣れいや
「ゆがんだままでも、いい。ありのままで生きる。」へのコメント
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