【過去の日記から】「誰の目も気にせず、2人で好きなように生きよう」女性性と男性性が結ばれるとき

過去の日記から。

 


ずっと社会と他人の言いなりだった奴隷として生き方るのをやめた日

2016.6.12

 

 

他人の目、他人に言われたこと

他人の評価・・・

それは、ずっと自分を縛るものだった。

 

その他人が

「自分の人生を、何者にも束縛されずに、自由に幸せに生きている人なのか?」

それが問題だった。

 

私に評価を下してきた、その他人たちは、

結局のところ、世間の目、他人の目の奴隷だったのだ。

 

つまり、私が苦しんできたのは

奴隷の目、奴隷に言われたこと、奴隷の評価ってことで

それはつまり、気にするだけアホだということだ。

 

奴隷に評価されたからといって、何なのだろう。

 

 

生きていることを、どうやって謳歌するか。

 

それ以外に、一体何を考えて生きるというのだろう。

それ以外に、一体何をしろというのか。

 

 

生きることが楽しいという感覚。

未だに知らない、しかし、いや、かすかに

確かに、知っているような気がして

 

思い出せるような気がして

思い出したい。そう思う。

 

人生はいくらでもやり直せるし、変わりたいと思った瞬間から動きだすものなんだ。

 

なぜなら、目の前に踏みだすその一歩こそが、意思そのものであり

その一歩から現実世界が拡がりはじめるから なんだ。

 

 

ほどほどに幸せならいい。

当たりさわりなく・・・

誰にも嫌われないように

ホンネは押しこめて・・・

 

そんなふうに生きることもできるだろう

で、それで一生終わるかんじだろうか。

 

私は嫌だ。

絶対に抜け出す。

 

周りに奴隷しかいないなら

じぶんが奴隷エネルギーで生きてるって事だ。

 

奴隷オーラ出してるから

「るいとも」になるんだ

 

そんな自分に気づいたら

もうこのままでは居られない。

 

自分のココロにダイブして、閉じ込めていた自分を救出するときが来た。

 

 

声を上げないように、奥底に押しこめてきたその大切な存在を

今こそ、私が助け出すときなんだ。

 

 

その存在を私は救い出して、ヒーローになるんだけれど

そのヒーローを助けてくれるのは、とじこめられていたその存在なんだ。

 

 

お互いがどうしても必要だ。心から必要だ。

早く手を差しのべるんだ。

 

「誰の目も気にすることなく、2人で好きなように生きよう」

そう言えたとき、きっと自分の中で、2人がかたく結ばれ、完全な自分が誕生する

 

完璧なバランス。

 

揺るがされることのない、その世界は満たされ

 

外の世界に、その満たされたものがあふれていくのだろう。

 

新しい人生。

 

私はこれまで、過去のとの比較によって

「前よりはマシだから」という言い訳をしつづけていた。

 

もうその言い訳は、流行りが過ぎている。

ぜんぶ取っ払うときが来た。

 

奴隷の着ぐるみを脱ぎすてる時がきたんだよ。

私はその着ぐるみを脱ぎすて、裸になった。

 

すると、これまでに見たことのない自分に、これが自分なのかという驚き、戸惑いとともに、

 

「ああ、こうしては居られない!」

という、焦りとは少し違う、しかし、もう抑えきれないパワーがみなぎっていた。

 

 


 

書いたことすら忘れていたが、この日記を書いた時から、私の新しい生き方が始まった。

 

 

 

剣れいや(つるぎれいや)

 

 

「【過去の日記から】「誰の目も気にせず、2人で好きなように生きよう」女性性と男性性が結ばれるとき」への 1 件のコメント

  1. 奴隷という言葉を、自分でも思っていたことがあって、
    やっぱりそうなんだってブログで気づいたんですよね。

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