こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。
私はいつも、人生の転機に差し掛かると、過去の記述を整理します。
ずっと登っている道をふと振り返っても、数年前にいた場所を見ることはできないけれど
そのときの記述が残っていると、
「ああ、そんなこともあったな…」と思い出せるのです。
過去の記述を読み返すたび、なんという過酷なことに飛び込んできたんだろうと思いますが、
あらゆる経験が、今の私の糧になっていると、そう感じます。
そんな過去を振り返る記述から取り出して、ここに書き残しておくことにします。
過去の日記から
2022.7.16
ふと思い返した。雨雲のむこうに消えた飛行機を見ていたら、思い出した。
人生の質は、どんな成果を得られたか、ではなく、
一瞬一瞬、どんな感動を感じられたか。
もしそうだとしたら
私は本当にたくさんの感動に巡り合って、ここまで来たんだと思った。
体がボロボロになるまで働いて、空港の近くの駅を出た時
地上から天までまっすぐ立ち昇る光の柱と、その柱を堺に左右で色が分かれた空に息を飲んで立ち止まった。
心が保てないくらい疲れ果てていたとき、橋の上で、びっくりするくらい可愛くて綺麗な鳥の声を聞いた。
セキレイだった。一心不乱にさえずっていて、ただただ胸に響いてきた。
1週間を食パン一袋でしのいだ時があった。
河原の土手を、何キロも歩いた。
そういう時に限って、見たことのないちいさな神社を見つけた。
引き寄せられるように、お参りして帰った。
もう限界だと感じた時、乗り換え駅を降りて、河原に向かったっけ。
タンポポ咲いてた。
子供たちが笑いながら走っていた。
河は、ずっと変わらず、ただ流れていた。
仕事だと勘違いして電車に乗ったこともあったね。
途中で気づいてカレンダー確認して、今日休みじゃんって。
降りたことのない駅で降りて、散策してみた。
不思議な日だった。
そこにも、河があった。
私は、ことあるごとに、河に見守られて、支えられているな。
また、箱根、いけるかな。
悲しくて苦しい旅じゃなくて、身も心も解放して癒されるような旅がいい。
私たちは、何か間違っているか?
精一杯頑張って生きているよ。
できるかぎりのことをして、生きているよ。
だから大丈夫。
心を澄ませて、魂をかたむけて、全身で聴く。
きこえるまで、きく。
……
その後、ちゃんと箱根に行くことができました。
今度は、悲しく苦しい旅ではなく、解放されて癒される旅になりました。
色々なことがったけど、あきらめなくてよかった。
心からそう感じます。
その渦中にあると、目の前に希望は見えない。
どこまで行っても出口は無いんじゃないかとさえ思える。
でも、手探りでも、迷いながらでも良いから
走り疲れたら歩いて、歩き疲れたら休んで
少しずつ、一歩ずつ、歩いていこう。
剣れいや
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