こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。
世の中では
「誰かのために、何かをすることが素晴らしい」という教えが流行っています。
むしろ、
「誰かのために、何かをすることが素晴らしい」
というのは、当たり前のように言われることですから
誰も疑問に思うことはないのかもしれません。
実際、世の中には
「誰かのために〇〇したい」と行動し
素晴らしい業績を遺す起業家や経営者、
アスリートや俳優やタレントさんなども、たくさんいらっしゃると思います。
しかし、正直なところ多くの方は
「誰かのために〇〇したい」と思いながらも
誰かのために、
誰かの意向をくんで
誰かの願いを叶えようと
必死に走り回り
ときには、
やりたくないことまで引き受けて
頑張っているのに
いつのまにか、疲れ果てて
動けなくなってしまう。
つまり、自分の中のエネルギーが残らなくなってしまうことが
大半なのではないでしょうか。
そんなとき
「人の役に立てないなんて、私はなんてダメな人間なんだ」
「やりつづけられない私は、根性がないのかな」
「相手のために動けないなんて、思いやりが欠けているのかな」
なんて思って
自己嫌悪に陥ってしまうこともあるかもしれません。
そりゃそうですよね
相手に喜んでもらおうとしてやってるのに
まったく手応えがないなんて
無力感が半端ないですもんね。
誰かのために行動して、
多くの人から感謝され
自分自身も幸せで
周りの人をも幸せにする人と
誰かのためを思ってやっているはずなのに
ただ損な役回りをして疲れ果てたり
逆に、相手から迷惑がられてしまう人がいる。
なんか、不公平じゃないですか?
そりゃ、頑張っても報われなかったら
幸せそうな人を見てイライラしますよね。
でも、実際には
現実にそれが起こっている。
単に、運の差なのか?
人徳というやつなのか?
そもそも生まれた世界が違っていて
次元の違うひとなのか?
一体、両者のなかで、
どんな違いが起きているんでしょうか?
要注意?「私がやってあげている!」という感覚
「やってあげた」のに、
感謝されなくて傷ついてしまう、嫌がられてしまうとき。
ショックの後に、こんな気持ちになりませんか?
「なんで、相手のためにやってあげてるのに、嫌な顔されちゃうの!」
「せっかくやってあげたのに、感謝してくれない!あの人は、なんて恩知らずなの?」
「色々やってあげているのに、ぜんぜん振り向いてもらえないの。私に魅力がないのかな」
そういう思いが湧いてくる方は
実は、無意識に心の中で、こんなホンネが沸き起こってるんです。
「やってあげているんだから、感謝してほしい!」
「やってあげているんだから、私を見てほしい!」
つまり、
「あげたい」って口では言っているのに
「ほしい」が体から出てしまっている。
この矛盾した状態に、周りの人が違和感を感じ取っているんです。
「あげたい!」って、口では言っているのに
「ほしい!」っていう要求のオーラを出しながら、カゴを持って相手を追いかけてる感じです。
言葉だと伝わりづらいかもしれないと思い、図解してみました。
建前バージョンと
ホンネバーションです。
【やってあげたい現象】建前バーション
・言っていることと、やっていることが矛盾している状態
いかがでしょうか。
これを、ホンネバージョンにすると、こんな感じになります。
【やってあげたい現象】ホンネバージョン
・無意識で発している要求
おわかりいただけましたでしょうか。
ホンネでは
やってあげたい、というよりも
「ほしい」んですよね。
「ほしい」でOKなんですよ。
「ほしい」と思うこと自体は、
ぜんぜん悪いことじゃないんですよ。
ただ
本当は、正直に
「〇〇がほしいんです」
「ちょうだい!」
って言えばいいだけなんだけど
子供のころから、それをすると怒られてきたから
それがダメなことだと思ってしまっている。
だから
相手と取引をして、要求しなければいけない
と思い込んでしまっているんです。
だから、素直に
「ほしい!」
って言えないんです。
正直に
「ほしい」っていう要求を表に出していれば
相手は
「うん、いいよ」
とか
「今はあげられないんだ、ごめんね」
とか、
相手にも選択の自由ができるんだけど
「やってあげるーーー!!!」
というノリで来てる人がいて、
さらに何かを要求されている気がすると
なんとなく居心地悪いから、人が離れていっちゃうんですね。
「なんかこの人、言っていることとやっている事が違う気がする・・・」って。
つまり、
無意識の中にある
自分の心の声を自覚することなく
無視して行動していると
ホンネと建前がどんどんズレしてしまって
相手とのコミュニケーションも噛み合わなくなっていくんです。
自分のためだけに生きてる人が、一番喜ばれる!?
記事の冒頭で、
「誰かのために」と行動し
感謝され、喜ばれる人もいる、というお話をしました。
では、彼らと
そうでない人とでは
いったい何が違うのでしょうか?
実は、
誰かのために、何かをして、
自分も幸せで、周りからも感謝される人は
そうでない人とは、そもそも
考え方の前提が違うのです。
自分も幸せで、周りも幸せにする人が
当たり前に持っている「考え方」とは?
それは
私は、自分のためだけに生きていい。
だから、やりたくないことはやらなくていい。
という前提です。
幸せな人は、
その考え方を基盤に生きているので、
そうでない考え方があるなんて、知らない。
彼らは
好きでもないことを、
相手のために無理やり、
身を削りながら
嫌々やっている人を見て
「へ?なんで?」って思うのです。
だから、幸せな人たちが、もし
「誰かのため」って言っていたら
間違いなく、大前提として
自分のためだけに生きて、やりたくないことは断る。
があります。
そして、それが満たされた上で、
誰かが喜んでくれることがあれば、やる。
そのスタンスを絶対に崩さないのです。
つまり、すべての選択において
軸の中心が自分である。
軸が、自分の喜びの中心に、しっかりすわっているのです。
だから、どんなときにもブレない。
誰にもコントロールされることなく
自分軸で自由に生きていけるのです。
それでは、さきほどのように、
幸せな人が「誰かのため」になっている状態を図解してみましょう。
【自分がやりたいことをやる人】
自分は、ただ楽しいことをやっている。
「誰にも頼まれてもいないけど、ワクワクする。やりたくなっちゃう」ことをやっている。
彼らは、
お金がかかるから、やらない、とか
誰かに評価されるから、やる、とかじゃないんです。
すべての前提を
やりたいか?
やりたくないか?
で決めている。
だから、
やっているだけで楽しい。
だから、
生きているだけで楽しい。
一人で幸せになれるから、
誰にも要求する必要がない。
だから、
周りの人も安心してそばにいられる。
周りの人は、
色々教えてもらえてハッピー
何も要求されないから安心。
たくさんもらえて幸せ。
という具合に、恩恵を受け続ける。
だから、ずっと
その人の周りに居たくなるんです。
誰かのためになりたいと思ったら、まず自分だけを最高に幸せにしましょう
結局のところ
「相手のためにならなければ意味がない」っていうのは、迷信なのです。
私の予測ですが、
幸せな成功者が口を揃えて「誰かのために」って言ってたから
それを見た人たちが
「誰かのため」って素晴らしい!
「誰かのため」にやるべきだ!
って、表面だけで解釈して、
「誰かのため教」が広まってしまったんじゃないかな、と考えています。
相手のためになるというのは、あくまでも結果です。
自分が最高に幸せになることをする。
やっているだけで情熱が湧いてくることをする。
それが一番、
自分にとっても、周りにとっても
重要なことなのです。
自分より他人を優先してしまう
いつも周りの世話を焼いてしまう
誰かのために頑張って、消耗している
そんな方こそ、とにかく
他人のことは置いておいて
自分の幸せ、自分の情熱をとことん追求してみてください。
誰のためでもなく、自分のために行動することに
抵抗がある、罪悪感がある、やってはいけない気がする
そんな方は、自分を愛するということについての課題が、まだ残っているのかもしれません。
詳しくはこちらの記事で解説していますので、よろしければどうぞ。
【参考記事】無条件に自分を愛せないとき。あなたの内側で起きていること
剣れいや(つるぎれいや)
「「あなたのためにやってあげる」は、実は相手から奪ってる?」への 1 件のコメント
解説が分かりやすい。
図が最高におもしろいです。すき。