こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。
私は昔、
人の顔色ばかり伺うタイプの人間でした。
そして、相手の要求に気持ちよく応えることが、良いコミュニケーションなのだと信じていました。
しかし、納得いかなくても立場上しかたなくYesと言って引き受けたり
取引先との関係性を良くするために、思ってもいないことを言ったりしているうちに
だんだんと
自分が何を感じ、
今、何を思っているのか
何を望んでいて、これからどうなっていきたいのか
さっぱり分からなくなってしまったのです。
そして、ついに
仕事中に何の脈絡もなく
「あ、もう生きててもしょうがないや」
と突然思ったり
自分が今ここに生きている実感が湧かなくなり
フワフワした謎の虚無感におそわれるようになりました。
そんな状態だったので、
自分が何らかの限界に来ていることは、うっすらと感じていたのですが
具体的にどうすればいいのか、さっぱり分からず
何をすればいいのか途方に暮れていました。
ところがあるとき、ひょんなことをきっかけに
モラルハラスメントや共依存について調べ、学び
これまで自分がどれほど無駄なガマンをしていたのかに気づいたのです。
それから、
自分を見つめ直し
自分の癒しをすすめていきました。
そして、
これまで不当な扱いをされても
怒るポイントが分からなかった私が
ついに
不当な扱いをされたときに、はっきりと怒りを感じるようになったのです。
これまでは
社会とはこういうものなんだから
「嫌だ」と思ってはいけない
怒るなんて、未熟な人間のすることだ。
何があっても、
おおらかに受け入れなくては。
という謎の思い込みに支配されていました。
しかし、当たり前だと思ってきた人間関係が、エネルギーを消耗させていたと知ってから、これまでの環境に強い疑問が沸き起こるようになりました。
そして
本来なら引き受けなくて良い仕事を
「常連さんだから」と
引き受けていたのですが
それをやめました。
不動産管理会社とのやりとりで
こちらに非がないのに、こちらが悪いことにされそうになったときに
これまでは、泣き寝入りするような人間でしたが
一歩もゆずらなくなりました。
幼い頃から
「私が我慢しさえすれば、すべては円満になるのだ」
と、理不尽でも必死で耐えてきたことが
大人になってからの人間関係でも
無意識に続いていた。
それに気づき、
それを、断ち切ったのです。
そして、はっきりと
思っていないことは、言わなくていい。
納得いかない事は、受け入れなくていい。
と、分かったのです。
それが許されない人間関係は
依存界の人間関係。
エネルギーを奪い合っている、魔のトライアングル。
だから、そのゲームに加わることを拒否し
そういった人間関係からは
さっさと立ち去ることにしました。
一度きりの大切な人生の
大切なエネルギーを
「相手を利用しあう魔のゲーム」に費やすのが
バカバカしくなったのです。
だって誰も幸せにならないから。
過去の人間関係の総入れ替えが起こりましたが
一緒に成長していける人はずっと仲間でいられるし
利用しあう、依存界の関係というのは
相手にとっても自分にとっても失礼だと
心のそこから感じるので
まったく未練はありませんでした。
日本では、
空気を読むとか
自分の立場をわきまえるとか
自分よりも相手のことを優先するといったことが、
美徳とされます。
しかしそれは
自分の中心に軸を置いて
相手を利用せずに
自分の責任で生きる
自律的なコミュニケーションが基盤にあることではじめて活きる。
依存界のコミュニケーションでは
空気を読むとか
自分の立場をわきまえるとか
自分よりも相手のことを優先するといったことが、
お互いの成長や、自己表現を押しとどめて
阻害しあうという
快適な人間関係とは程遠い関係になってしまいます。
日本人は世界でも「幸福度」が低いとされています。
「自分は、たいした人間じゃない」
「自分には幸せになる資格なんてない」
そんなふうに思っていると
生きている実感や、喜びや
本当にやりたいこと、好きなことが分からない人生になってしまう。
せっかく生まれてきて、頑張って生きてるのに
そんな人生は悲しく空しいものなんじゃないかと、私は感じます。
私は、死ぬまで
幸せな人間関係を築きつづけ、幸せな仕事を続けたいし
そんな生き方をする仲間を増やしたいと思っています。
剣れいや
「思っていないことは、言わなくていい。納得いかない事は、やらなくていい。」へのコメント
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