【12月6日】舞台の衣装ペインティングを担当します。鏡ざゆら氏の舞踏の舞台へ向けて

こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。

 

来る2020年12月6日(日)、前衛舞踏家 鏡ざゆら氏の舞台音楽と衣装のペインティングを担当します。

今回も、和のエンターテインメント集団、桜魁さんにお話をいただきました。

鏡ざゆら氏のみ出演で、今回は私は出演しませんが、当日の会場ではかなり忙しく動くことになりそうです。

 

出演しなくても、ステージに携わるのは楽しいですね。

非日常であることと、あの緊張感が好きです。

 

本番は一度きり。

やり直しはきかない。

言い訳もできない。

 

これってまさに、人生と同じだなと思うんです。

この一瞬にすべてをかけている!というときに、生きてる感じがするんですよ。

 

私は何に関しても、やり直しのきかない一発勝負に燃えるようです。

 

 

今回は、鏡ざゆら氏の舞台の音楽と衣装ペイントということで、先日コンセプトを伝えてもらいました。

ざゆら氏のオーダーは

・不動明王の炎
・静かな怒り/生命力
・四大元素
・炎/雷
・静かな烈しさ

とのこと。

 

そこに私が色々と質問を投げかけ、ざゆら氏の中にあるイメージの全体像を探っていきました。

時系列的に見た時にどのような構成になっているか、等のイメージはあるかどうか。

 

 

アーティスト気質であるほど、非言語領域のものがバーっと降りてくるので、自分の中でどんなに腑に落ちていてもうまく言語化できないものだと思いますが

 

そこをなんとか引き出して、整理していきます。

 

 

それでもやはりうまく言語化しきれないところは、私が分類し、選択肢を提示して選んでもらうことで明確化していきます。

 

特にざゆら氏の話の中で、「感情」というキーワードがでてきたので、慎重に確認していきました。

 

私が一番確認したかったのは、

「人間的な感情」と「神の視座」
どちらで表現するのか?

ということ。

 

世界観をどの視点で描のくか、

それ次第で、作品自体がまったく別物になるからです。

 

たしかに

不動明王=怒り

というイメージも強いかもしれない。

 

しかし

 

不動明王は、大日如来の変化した姿。

 

なぜ不動明王が怒りの姿をしているかといえば

 

決して個人的な感情で怒っているのではなく

 

慈悲深い穏やかな姿で現れても、人間を導くことができないため

人間にとってわかりやすい「怒り」という強いエネルギーを纏うことで

人々を正しい道へ導いている。

 

 

だから、あの怒りの炎は、決して人間にブチ切れているのではなく

大日如来(宇宙的存在)の人間に対する慈悲なのである。

 

 

だから、同じ怒りの炎を描くにしても

 

人間の個人的な怒りとしての炎なのか?

神の慈悲の顕現という怒りの炎なのか?

 

その二つは、まったく違うものになる。

と私は捉えています。

 

 

結果、今回の舞台は、神の視座として描く

ということになりました。

 

 

 

不動明王の炎で、不要なものを焼き尽くし

純粋な個性のエネルギー溢れる、多様性の世界への移行を実現する。

 

 

真っ黒な世界から鮮やかな世界への移行、

闇の世界から※シャンバラ (桃源郷)へのシフトということです。

 

2021.08.01追記
※ 後日、シャンバラと桃源郷の違いを知ったので今後別記事で考察したいと思います。

 

今回は尺が短く、持ち時間が5分。

音楽は4分30秒くらいでヨロシクと言われたので、なんとか収めなくてはなりません。

 

曲も余韻を残すような感じではなく、パキッと輪郭を出していこうと思っています。

 

 

今回は、まず音で世界観をつくる→そこから衣装へのペインティング

という流れにしたいと言われたので、まずは曲作りから。

 

私はいったん曲を作り始めると、寝ずに没頭し2日くらいかけて完成させるので、今回も短期集中でいきます。

 

※ その後予定変更となり、今回は衣装のペインティングのみ担当して集中的に取り組むことになりました。

 

 

剣れいや

 

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