「安定」と書かれた看板と、光の絶望

一、誰かの感情の受け皿としての人生

二、安定と書かれた看板と、光の絶望

 


あるとき、ふと顔をあげると

道の先に「安定」と書かれた看板があった

 

 

安定・・・?

そんなものはいらない。

求めていない、、、

 

 

 

 

でも、このまま宛もなく進んでいくのなら

 

 

 

保険をかけるのも大事なのではないか・・・・・

 

 

 

 

安定・・・・

そうだ、世の中では安定が大事だと言われる。

 

 

 

もしかしたら、安定も大事なんじゃないのか。

 

 

そうだ、一時的に安定させよう

 

 

安定したら、その先に

ほんとうに望んだことができるはずだ

 

 

私は、安定と書かれた看板の方に、歩み寄った

 

 

2014年

 

息苦しかった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食べることには困っていないし

 

そこそこ評価もされている

 

気のいい仕事仲間もいる

 

休みの日には遊びに行って

 

まあまあ楽しい

 

 

なぜだ

なぜ

 

 

なぜこんな突発的に

 

「このままじゃ 生きててもしょうがない」

 

なんて思うのだ

 

 

何が不満なのだ

何不自由ないというのに

 

 

 

私は、

 

 

 

 

もしかしたら、

これが、満たされた状態なのか

 

 

 

そうか

こんどは社会に還元することで

満足できるのかもしれない

 

 

 

そう感じた。

 

 

そうか、ずっと探し求めていたのは

この境地だったのかもしれない・・・・

 

 

 

 

世のため人のために生きよう

 

 

 

 

そして新たな分野で学んだ

 

 

 

 

しばらくしたある日

 

 

「なにか」が噴出した

 

 

 

 

はじめて聞く言葉だった

 

「こんなことやりたくない!!!」

 

 

信じられなかった

 

世のため人のためにやっている自分が

 

「やりたくない」などと!

 

なんという不謹慎な奴なんだ

非人道的だ

恥晒しか

 

頭の中で瞬時に自分を非難する言葉が飛び交った

 

 

しかし、その「なにか」が出てきたという事実は、私の中に深く刻まれた

 

 

 

 

一緒に活動していた人たちに対しても、違和感を感じていた。

 

「この人は、自分の家族がうまくいっていなくて、子供にも問題が出てきているのに、なんでボランティア活動してるんだ」

 

なぜだ・・・・

 

本心が出てきてしまったので、つづけることはできなかった。

 

 

私は新しく始めたその活動を、やめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

希望と、閉塞感は、交互に押し寄せた。

 

 

 

 

私は仕事の合間

息も絶え絶えに

空を見上げた。

 

 

 

このまま生きるのはもう限界です。

これまでのすべてを捨ててもいい。

 

ヒントをください

 

 

 

2015年

 

 

私は、仕事仲間から新たなキーワードを入手した

 

 

「自由」

 

私は、その言葉に釘付けになった

 

 

ずっと探し求めていたのはコレだ!と直感的に思った。

 

 

あのとき、人生の岐路に経った時

不安になって、つい安定を求めてしまったが

 

 

 

何年も無駄にしたのかもしれない。

 

本当は自由を求めていた!!

 

 

そう感じた日から、

自由に生きる人の発信する情報が

どんどん手元に飛び込んでくるようになった

 

 

 

それは私にとって、新たな人生の旅だった

 

慣れないことはそう簡単にうまくは行かなかったが

 

 

ずっと見失っていた目標

エネルギーの方向性を見出せた。

 

 

 

その後もずっと、何かヒントはないかと探し続けた。

 

 

運命の歯車は回り出した

 

 

ある言葉をヒントに

 

 

私は自分の人生の真実を知ることになった

 

 

 

これまで抱えていたあらゆる疑問に

どうしても答えが出ずに

 

 

考えても仕方がないとあきらめていた、

 

 

そのあきらめに、光がさした。

 

 

 

絶望だった

 

 

 

 

なぜ絶望だったのかというと

 

 

 

その光によって

これまで「わからないこと」として置いておいたパズルのピースが

パタパタと音をたててはまりだしたからだ。

 

 

 

その絵はゆっくりと、しかし淡々と姿を現した。

 

 

 

 

出来上がった絵が、真実である。

 

 

 

私は、もうこれまでの人生を続けることが無理だったので

 

それを見る覚悟をした。

 

 

見た。

絶望した。

混乱した。

 

 

 

しかし、腹の底では納得していた。

深い部分で、ずっと分かっていたことだったのだ。

 

 

 

 

パズルのピースが、

30年以上に渡って私が目を背け続けた

真実の絵をみせた。

 

 

私の中の操縦席に、自分以外のものを座らせた私。

 

ただ、走ってきた。

 

操縦席に座ったのは、何だったのか

 

復讐心

 

だったのかもしれない

 

 

私は、幼いころ

心を押し殺し、感情が出てこないように体を固くして

 

 

機械になる努力をした。

 

そのとき、殺された私は、

 

 

 

・・・・・・・

生きていたのだ。

 

 

 

「こんなことやりたくない!!」

 

 

 

生きていたのだ

 

 

 

 

 

「こんなことやりたくない!!」

 

 

あれが私にとって、真実の言葉だった。

ホンモノの自分のことばだった。

 

 

 

それからしばらくは

 

怒涛の日々だった

 

これまで硬い岩盤の奥に押し込めていた

マグマが噴出したかのように

 

 

私は、そのとき

 

生まれて初めて

「生きる」ことを選んだ。

 

 

 


つづく

 

 

剣れいや

 

一、誰かの感情の受け皿としての人生

 

 


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