1+1=2を信じなかった私が「自分の内側」に答えを見つけようとして陥った落とし穴

こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。

 

今日は、外側に答えを探していた私が、自分の内側に答えを見つけようとして陥った落とし穴の話。

 

私の過去の学びをつづってみます。

 


 

とても不器用で、頑固だと思います。

 

私自身のことです。

 

今では器用で柔軟なイメージを持たれがちですが

正直なところ、

子供の頃から頑固で不器用でした。

 

 

 

1+1=2

が正しいんですよ。

 

と言われても

「Yes」と言って受け取れない。

 

 

私は子供のころからそういう人間でした。

 

 

そして

なぜ子供の頃の私がそうだったのか

思い返してみました。

 

 

 

1+1=2

を信じて生きている人が、幸せそうじゃなかった。

 

1+1=2

の正しさを主張している人が、信用できなかった。

 

1+1=2

を押し付けられて、苦しんでいる人を見た。

 

 

 

そんな感じだった。

 

 

なので

 

人が与えてくる「情報」に対して

いちいち疑ってかかるようになりました(笑)

 

 

 

さらに

 

1+1=2

 

それが本当にそうなのか?ということは

自分の人生で実験して、確かめるしかない。

 

なんとなくそう感じていました。

 

 

 

しかし、この社会は

何らかの「答え」に同意しなければ

もしくは同意しているフリをしなければ

 

とても生きてはいけないし、生き辛すぎる。

 

 

とくに10代のころは、それを強く感じていました。

 

 

そういうのもあって

 

おぼろげながらでもいいから

「答え」と言えるものがほしい。

 

「答え」の輪郭を与えてくれる人を探していたのです。

 

 

 

誰のいうことが正しいのか?

 

それを何十年もかけて

必死で探し回っていました。

 

なかなか見つかりませんでした。

 

「やっと見つけた!」

と思った矢先には

 

「やっぱり違った・・・」

が待っていました。

 

 

疲れ果てていった私は

いつのまにか

 

 

1+1=2

の魅力に、勝てなくなっていきました。

 

 

1+1=2

だれもが疑うこともない。

 

 

1+1=2

を答えにしている限りは

白い目で見られることもないし

仲間外れにされることもない。

とりあえずは、まともな社会人として見られる。

 

 

 

答え探しに奔走し

弱り、疲れきった私は

 

1+1=2

という甘い誘惑に毒され

 

ある思考へとまっさかさまに堕ちて生きました。

それは、こんな思考でした。

 

 

私が苦しいのはきっと

信頼できる人がいなくて

正しい情報を手にしていないせいだ

 

 

正しい情報を得ることができれば

 

きっと私は幸せになれて

もっと楽に生きられるようになるのだ

 

迷うこともなくなるのだ!

 

 

そう、心のどこかで期待するようになっていったのです。

 

 

 

高い金額を払って得た情報

有名な人が発する情報

口コミの評価がいい情報

 

 

どこかに

「答え」があるはず。

 

 

そして

 

1+1=2

という世界に流されていた私は

ある価値観の世界に流れ着きました。

 

 

 

そして、ある言葉を知ります。

 

答えは自分の内側にある

 

 

 

「そうか!答えは、自分の内側にしかなかったのだ・・・」

 

外側に探していたから苦しかったんだ・・・

なあんだ!そうか!!!

 

 

やっと腑に落ちた感じがしました。

 

 

そして、しばらくは

「答えは自分の内側にある」

と信じている人たちのコミュニティの中にいました。

 

 

とても居心地が良い気がしていました。

 

 

しかし、居心地の良さに反し

私の心の奥底は、ずっと警鐘を鳴らしていました。

 

 

「答えは自分の内側にある」

と信じているはずの人たちは

 

 

なぜかいつも

「答えは自分の内側にある」と言っている人の発言を鵜呑みにしている。

 

 

それって

その人の言うことを「自分の答え」にしているということなのでは!?

 

 

しかし、当時の私は

そのかすかな疑念を封印した。

 

 

正直、怖かった。

 

自分がようやく見つけた

自分の居場所だと思える、その場を失いたくなかった。

 

 

でも、

心の奥ではこうツッ込みたかったのです。

 

 

「答えは自分の内側にある」んじゃないんかい!!

 

 

 

 

そんな矢先、

私の「居場所依存」の甘えた考えを

根底から破壊してくれる人に出逢いました。

 

 

私がしがみついていた

空想の基盤。

 

 

その人は、その基盤を

ものの見事に破壊してくれたのです。

 

 

その人の生き方は、私にとって衝撃でした。

 

 

自分が嫌われ者になってでも

その人を解放するために

真実を伝える。

 

 

私は、その人の生き方に感化されました。

 

 

しかし、当時の私のメンタルは

とてもじゃないけど、その人の基準で生きられる状態ではなかったのでした。

 

 

私は結局、

アイデンティティ喪失状態となり

 

すべてのコミュニティを離れ

ひとり、人生の旅にでることにしました。

 

 

 

私は

ひとりになり

混乱していました。

 

 

もう誰の言うことが正しかったのか

まったく分からなくなっていたのでした。

 

 

そして、何年もの月日の中で

私はあることに気づきました。

 

 

その気づきは、とても怖ろしく

その結論は、私を不安にさせました。

 

 

しかし、その結論は

揺らぐことはありませんでした。

 

 

答えとは

自分の内側にしか無い。

 

そしてそれは、当然のことである。

 

 

そして、究極的な「答え」を

つきつめるならば

 

 

 

答えとは今の自分そのものである。

 

 

 

まったく逃げ場のない結論。

 

 

 

今、この瞬間の自分。

その「自分」がすべて。

 

そして、それしかない。

 

 

 

 

「私の過去はこうでした」

過去はそうだったかもしれない。

 

 

「私の未来はこういうふうにしていきたいです」

未来はもしかしたら、そうなるかもしれない。

 

 

 

では、今のあなたは?

 

 

すべてはただ、そこに帰結するのだ。

 

 

 

今しかないのだ。

今だけなのだ。

今の自分がどうあるか、だけなのだ。

 

 

とても厳しい。

逃げたくもなる。

 

 

でも正直、

これだけなのだ。

 

 

私が認識できるのは「今」この瞬間。

 

 

今、やっていないことは、これからもやることはない。

 

 

なぜなら、

人生とは「今」この瞬間のことだからだ。

 

 

 

「これから変えていこう」

と言う癖を持ち続けていたら

 

気づけば、明日も、明後日も

「これから変えていこう」

と言っている。

 

そして、いつまでも変わらない。

 

 

ほんとうに変わっていく人は、

「今」この瞬間から自分を変えはじめる。

 

 

だからこそ、全力で

「今」の自分と向き合い

 

全力で

「今」の自分を愛する努力をする。

 

 

その先にしか、人生の答えは見つからないから。

 

 

「今」の自分と全力で向き合うというのは、孤独でおそろしいことだ。

なぜなら、ごまかしがきかないから。

 

 

 

 

周りの目を気にして

その場かぎりの嘘をつけたとして

 

周りの人は、もしかしたら騙されてくれるかもしれない。

 

 

でも

自分自身は騙せない。

 

 

ごかますほどに

自分自身との信頼関係はズタズタになっていく。

 

 

 

これまで

どんなに声をあげても

無視されてきたから

 

「ああ、またそれか」

と言って、さらにかたく口を閉ざす。

 

 

自分が内部分裂しているかぎり

自分の軸は定まらない。

 

 

自分自身に安心できないから

また外側に精神安定剤の代わりを探したくなって

気持ちが不安定なまま、また走り始めてしまう。

 

 

心と体。

その、いちばん奥底の自分。

 

事実を感じてきているその自分は

 

 

思考と欲に魂を売り渡してきた

「自分もどき」のことを

 

簡単には信用してくれない。

 

 

「心と体」に従ってきたと思い込んでいても

イマイチ成長や幸せが感じられないならば

 

 

それは心と体が、思考と欲に支配されて

その苦しさから、暴走していただけだったりする

 

 

今、どんな状態だったとしても

一歩一歩、信頼関係をとりもどしていくしかない。

 

 

決してあきらめずに。

 


私が出会った「自分の内側に答えがある」という概念。

 

しかし

外側に答えを探すクセは、

そう簡単に修正できるものではなかった。

 

「外側にある答えを鵜呑みにすれば、点数が稼げる」

そしたら

評価が得られる。

いい大学に行ける。

いい会社に入れる。

いい収入が得られる。

社会的地位がみとめられる。

 

そんな教育を受けてきた。

 

でも、

与えられた答えではなくて

人生の答えを自分で見つけ出したい。

 

誰かに許可されて動くのではなく

自分で自分に許可を出したい。

 

そう思って生きてきました。

 

これからも、どう転んでも、そういう生き方しかできない人間なんだろうと思います。

不器用で、頑固だなあと、思います。

 

世間の決まりの中でうまくやって行ける人をみて「すごいなあ!」といつも思います。

 

私自身、「世間の決まりの中で生きる」を何度もチャレンジしましたが、最終的に鬱になって瀕死でリタイアする、というのを繰り返してきたから。

 

それは自分のメンタルが弱いせいだと思っていたんですが

「ぜんぶ自分で決めて、自分の責任で生きる!」と決めたら意欲が湧いてきて、なぜかチャンスが向こうからやってくるようになりました。

 

私の生き方は、世間の決まりの中で生きている人には「勇気がある」「真似できない」と言われるので

逆にびっくりします。

 

私が世の中に馴染めなかったのは、

メンタルが弱いせいではなく

自分に合わないことをしていただけだったのかも?

 

今ではそう思えるようになりました。

 

 

結局私は、1+1=2を信じても楽しい人生にはならなかったので

堂々と、自分なりの公式を編み出す旅に進んでいこうと思っています。

 

なぜなら、私の人生の目的は

社会的な評価を得ることではなくて

 

死ぬ間際に

「最高に楽しい人生だった!!!」と思えることだから。

 

それではまた!

 

剣れいや

 

 

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