他人の目が気になるときは「どうありたいか?」を思い出そう。経験することでしか得られないもの。

女性性と男性性のバランスを整えると

自分の軸を取り戻すことができる。

 

外側の価値観に揺らがない自分らしさ。

それが自分軸

 

その自分「軸」というのは、あくまで比喩だ。

 

軸といっても

頑健な堅い軸があるわけではなく

 

自分軸で生きている状態とは

純粋に自分らしさを解き放っている状態のこと。

 

そして、他人に与えられた価値観という背骨ではなく

自分の気持ちを受け止め、自分の意思で行動することで身につけた、マイ背骨で生きている状態のこと。

 

それは、経験することでしか得られないもの。

 

はじめてのことにチャレンジしたり、

未知の体験をするとき

 

恥とか失敗という概念が立ちはだかる。

 

「失敗したらどうしよう?」

「この年でこんなことやるのは恥ずかしい・・・」

 

知らず知らずのうちに頭のなかで繰り広げられている、世間体という判断基準の舞台。

その舞台上での価値観は、あなたにとっての自分らしい幸せな人生にどれほど関係しているのだろうか?

 

その価値観を採用したまま生きてきて、今幸せならそれはとても素晴らしいことだと思う。

 

ただもし、

「なぜかいつもうまくいかない」とか、「何をやってもしっくりこない」のなら

 

無意識に発動しつづけている自分の価値観を疑ったほうがいい。

 

モヤモヤしているときは、おなじところをグルグル回っているとき。

全体像を見渡して、自分の現在地を把握しよう。

 

モヤモヤフィルターがかかっているときは、全体像が見えてこない。

 

なぜなら、俯瞰するにも「モヤモヤしている今」から離れ、飛び立つ必要があるから。

 

一時的にでも、そのモヤモヤフィルターを脇へ置いて飛翔しなければいけないけど、多くの場合はそれすら怖く感じる。

自分の現在地をまじまじと直視するのは勇気がいるから。

 

だから、大衆と呼ばれる大多数の人は、自分の現在地を見ないようにして目の前のもので気を紛らわす。

 

でも、それを繰り返していることにうすうす感づいていて、そんな人生に辟易しているのなら、飛び立つ時が来ている。

 

一気に飛び立たなくていい。

一時的に上空から見下ろしてみるだけでいい。

 

「ああ、なんだ、自分ってこんな状況にあったんだ・・・」

 

そう知るだけでも、けっこうスッキリしたりするものなんだ。

スッキリするまで行かなくても、納得はできる。

 

受け入れるのが怖くても大丈夫。

 

「もうこんな人生のままは嫌だ」

と感じているなら、受け入れられるはずだから。

 

前へ進もう。

 

もし、前だと思っていたのが前じゃなかったとしても大丈夫。

 

間違えるよりも怖いのは、失敗を恐れて停滞することだから。

 

停滞を選ぶ人は、失敗する人を笑うかもしれない。

 

「チャレンジなんてしなければ、失敗もしないのに。恥かきたくないなら、夢なんてみるもんじゃないよ」

って。

 

でも、私はそんな生き方はしたくない。

 

そんな生き方を続けた先におとずれる

人生の最期に、

 

どんな言葉をつぶやけるのだろうと思う。

 

 

大切なのは

失敗しないことじゃない。

 

どんな経験からも、学び続けることだ。

 

あきらめず、進み続け、学び続けることができれば、必ず新しいステージの扉が開く。

 

そして、常に自分が何を望んでいるのかを知ろうとすること。

 

抑圧した衝動のささやきに惑わされず

純粋な自分の想いを聴く。

 

ココロとカラダは、常に私たちに語りかけているのだから。

 

 

剣れいや

 

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