怒る相手が分からなくてもいい。怒りの存在を認める。

こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。

今回は「怒り」を出してあげるときにうまく出せない方、怒りを感じようとしても出てこない方に向けて書いてみます。

成長しようとするとき、停滞から抜け出そうとするとき、人は「怒り」でつまづきます。

怒りは、みんな避けたがるものだからです。

怒るのが大好きな人は、あまりいないと思います。

それはなぜか?

怒りが湧いてきているときは、実は、誰かに怒っているわけではないからです。

きっかけとなった怒りは、あります。

それは、最初の怒り。

自分として生きたいと、行動し、発言した

そのときに

徹底的に禁止され、封じられた原体験です。

どんな手段をもってしても、

自分はありのままで生きることは認められないのだと知ったとき

自分のなかの怒りを押し殺す。

それが、自分と分離した最初の体験。

それから、自分の望みを押し殺すという癖がついていきます。

私の場合は、その抑圧が、物心つく前に始まっていました。

それから、最終的に自分の意思で完全に封印したのは6歳の時でした。

「閉じた」と記憶しています。

それから、私には感情というものがなくなりました。

悲しいとか、さみしいとか、くやしいとか、苦しいとか

そういった感情がなくなったのです。

もちろん、たまに沸き起こってくることはありました。

それを、全力で押し込めていました。

何が言いたいのかというと

最初の「怒り」は外的要因があったとしても

その外的要因がなくなった、もしくは離れたあとでも、ずっと抑圧しつづけている状態というのは

自分を裏切る癖がついている状態だということです。

もう少し突っ込んでいうと

怒りを抑圧しなければならない状態に自分を置き続けるのも、

自分を裏切ることなのです。

自分を裏切るというのは

自分を否定する癖、

もしくは

自分を無視する癖、ですね。

そして、もう自分自身でどうとでもできるのに、

現状に甘んじて、何もしない

という状態に対して

自分が自分にキレている、

という現象が起きています。

だから、怒るべき対象が、もうこの世にいないとか

怒るべき対象に対して

あの人だって可哀想な人だったんだから、

あの人も大変だったんだから、とか

あの人なりに精一杯やってくれてたんだと思う、

と考えるのは

「自分が怒りを感じるのは筋近いだ」と思いこむための自己洗脳なんですね。

怒りがあるなら、あるんですよ、

怒りに、間違いも正しいもないんですよ。

自分が感じていることに、正しいも間違いもないんですよ、

自分が感じていることが、全てなんですよ。

だから、自分が感じていることを、ただ受け止めるだけなんですよ

理由なんか要らないんですよ。

ただ、感じているだけなんですよ。

それに善悪なんかあってたまるか、ってことなんですよ、

「そんな風に感じるのはおかしい」

と言われ

「そうか」と思い込んだだけなんですよ

自分が感じていることが分からなくなったら、何を指針にすればいいか分からないから

とにかく、何かにすがってしまうんです。

それが、依存という状態です。

自分が感じていることを、ありのまま受け入れる。

自分が感じていることを、ただそのまま認める。

そこからしか、何も動き出さないのです。

自分がまぎれもなく感じていた「怒り」。

それを、絶対に無視しないであげてください。

剣れいや

 

 


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