「喉元過ぎれば…」という言葉があるように
辛い事もガマンして続けていれば、それが当たり前になる。
「そうか、じゃあ辛くてもガマンすれば何とかなるんだ!」
実はそのメカニズムには、見落としがちな落とし穴がある。
自分を成長させることと、自分を痛めつける事は別
プロのアスリートは、今の自分の限界を超える結果を出すために、日々トレーニングを行う。
これは「現状の自分」から「理想の自分」に変化させていくというチャレンジ。
現状の自分から、理想の自分に変えていくときに、最も大切なことは何だろう。
大切なことは一つでは無いし、人によっても違うと思う。
しかし、私が一点だけ、決して外してはならないと考えているポイントがある。
結果を出さなければ自分には価値がないという考えを捨てることだ。
自己肯定感
自分には価値がある、と思える感覚のことを、自己肯定感という。
自己肯定感が高い人の場合、達成したい目標があるとワクワクする。
「もともと価値のある自分が、やりたいことをやる」からだ。
自己肯定感の高い人は、最終結果への緊張感を感じながらも、集中力を高めていく、そのプロセスさえ楽しい。
努力が苦にならないし、自分が疲れているなと感じたら適切に休養を取ったり、
自分では見えない部分を客観的に見て指摘してくれるコーチに、積極的にアドバイスを求めたりして、自分のパフォーマンスを高めていく。
それに対し、自己肯定感が低い人は?
自己肯定感の低い人は、目標を掲げたとき、ワクワクするかもしれない。
目標を達成した時の、人々の賞賛と羨望のまなざしをイメージするからだ。
「すばらしい結果を残せたら、すばらしい人間として評価される」
自己肯定感の低い人は、そう思っている。
しかし、それは裏を返せば
「すばらしい結果を残せなければ、自分には価値がない」
ということになる。
そのため、自己肯定感の低い人は、狂気じみた努力をして、狂気じみたレベルの結果を残すこともある。
「結果を出せればそれでいいんだ!」という人なら、それでもいいのかもしれない。
ただ、問題なのは、常に内側からのプレッシャーと戦わなければならないことだ。
内と外のWプレッシャーがやめられない
自己肯定感の低い人は、自分で自分にムチ打って動かしている。
結果を残さなければ、自分には価値がない。
だから何としてでも結果を出して、世の中に自分を認めさせてやる!!
そんな感じで、常に自分に余裕を与えないので、ギリギリの心理状態だ。
しかも、弱みを見せると攻撃されると思っているので、あまりアドバイスも求めない。基本的に周りが敵だと思っている。
内側から自分を攻撃しながら、外側からの期待やプレッシャーを一気に受けていると、だんだん自分が潰れていくのをイメージできないだろうか。
ストレス中毒
ストレスが継続的な刺激として認識されると、危険を感じた脳は、快感物質(β-エンドルフィン)を分泌する。
最初は辛くても、段々とハイになって、最終的にはどうでもよくなる、あの感覚。
それは、歯医者での治療や手術のとき、苦痛をやわらげるために麻酔を打つようなものだ。
継続的なストレスと、それを麻痺させる脳内麻薬。
その異常な状態が続くと、今度は脳はこう判断する。
「この異常な状態は、これだけ長期間続いているので異常ではない。この状態が平常である」
ここから一気に、苦痛が薄らいだような錯覚におちいってしまう。
ストレスフルで、もう限界を超えているにもかかわらず、それを何とも思わない、という認識が生まれる。
こうなると、ちょっとやそっとのストレスでは異常を感じ取れなくなってしまう。
つまり、自分を崖っぷちギリギリに追い詰めてムチ打って虐待しているのに、それに対する自覚がなくなってしまうのだ。
麻酔を打って歯の治療をして、その麻酔がずっと効きつづけている状態を想像してみてほしい。
ちょとやそっとの痛みでは、何も感じない…
もしかしたら、歯茎にとんでもなく深い傷ができて大量出血しても、何も感じないかもしれない。
めちゃくちゃ怖いことだけど、本当に、そうなっている。
これがもし、仕事のストレスだったら、ブラック企業に洗脳された奴隷社員のような状態だ。
酷使されるのが当たり前。
感覚を完全に麻痺させているので、リラックスや安心感すら分からなくなり、人によっては強いストレス以外のものを不自然だと感じ、落ち着かなくなる。
忙しくないと不安
リラックスが出来ない
安心感が無い。
そんな感覚があるときは、これまで痛みをこらえて、ある域まで耐え抜いてしまったのかもしれない。
あなたがもし、そんな状態なら、この先をぜひ読んでもらいたい。
心の中のホンネを救い出せ
ここまで酷い待遇をうけても、生き残っている感覚がある。
表面上の感情や、衝動とは異なり、心理学ではインナーチャイルドと表現されることもある、最もピュアな部分。
純粋な「心」の中の「ホンネ」だ。
ホンネは、あなたが真の気持ちを自覚するまで、簡単には諦めない。非常にシブとい存在だ。
そして、絶対にあなたの味方だ。
あなたの心は
どうにかして、
だましだまし苦痛を麻痺させている脳のトリックをあばき
「もう我慢の限界をとうに超えているんだ」
という事実に気づいてもらおうと、あらゆる手段を講じる。
そして、いざとなったら、
だましだましの脳のトリックを解除するのに
一番、強力な方法をとることがある。
それは
生物が生きようとする欲求「生存本能」を刺激すること。
動物は、痛みを与えられたら猛然と牙をむく。
不快だったら、なんの躊躇いもなく、その場から去る。
それが、生きるための本能だから。
私たちも生物。あたりまえのように備わっている。
しかし
我々が暮らす現代社会では、多くの場合
多少イヤなことがあっても
常識から外れることをすると気まずい立場に立たされるので
不快な思いをしたり理不尽な扱いを受けても、理性で押さえ込み、頭で納得させて、我慢し続けるのが当たり前になっている。
するとホンネからかけ離れて生きていくことになる。
特に、幼い頃から強いストレスを受けていた人ほど、苦痛に対して麻痺し鈍感になっていることがあり、危険なレベルのストレスにさらされていてもガマンするクセがついてしまっていることが多い。
「このまま行ったら危険だ!」
生きようとする「心」は、メッセージを出し続ける。
しかし、強いストレスが普通の状態だと認識してしまった脳は、並大抵のことでは気づかない。
だから、下記のような現象を、あなたにもたらす。
- 突発的に怒りが湧いてくる。
- キレる。
- 体に不調が現れる。
- 怪我をする。
- 精神的に病んでくる。
- 朝起きられない。
- 経済的に立ち行かなくなる。
自分にメッセージを送りつづけても聞いてもらえなかった「心」は最終手段として、周囲から見ても明らかに分かるような、異常事態を作り出すのだ。
「うわ!こんなヤバい状況にいたのか自分!一刻も早く抜け出さなきゃ!」
「なんで今まで我慢してたんだろう!もうとっくの昔に限界超えてたわ、アホらしい!もう無理!」
そこでやっと、気付く人は気付く。
目が覚める。
正気に戻る。
冒頭で伝えた、自己肯定感は、こういった自分の弱さを受け入れられなければ、高まることはない。
逆に、自己肯定感の高い人とは、自分の弱さや、苦手なこと、できないことを受け入れていけた人のことなのだ。
しかし、身体や人間関係を壊してから気づくというのはあまりにも不毛な結末。
身体や心を病んでしまう前に
いち早く心のメッセージに気づいて
苦しい状況にいることを認め
その先にどうしていきたいのかを見極めることができれば
あなたの貴重な人生の時間を
もっと有意義に使えるはずだ。
時間は、命だと知る
あなたの時間=あなたのいのち
あなたの、一度きりの貴重な人生の時間を、何に一番使っているだろうか?
多くの人が、自分の時間を好きでもない労働や、尊敬できない人との付き合いに費やしている。
しかし
「私は自分の時間を自分の「いのち」だと捉える。じぶんの「いのち」を安易に浪費したりはしない」
と断固たる態度で本気で生きていく人は、たとえ今、不本意な状況に置かれていても、いつか必ず望む方向に人生を変えることができる。
あなたの人生は、我慢するためにあるのか。
あなたの時間は、切り売りするためにあるのか。
あなたが苦痛をまぎらわすのをやめ
自分を絶対に幸せにするんだと腹の底から決めたとき
人生は変わりはじめる。
あなたが抱えている「悩み」は、
自分の秘めた能力に気づくためのメッセージ。
人生には、
あなたが乗り越えられない問題は起きない。
もしかしたら、その「悩み」は
「あなたには、もっと別の可能性がある」ということを伝えているのかもしれない。
剣れいや
「【自己肯定感】自分を成長させることと、自分を痛めつける事は違う」へのコメント
コメントはありません