自分じゃなくても言えるようなことは言わない。

こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。

 

よく読者の方に

「れいやさんの記事は、知識だけじゃなくて、実体験とか例えが多くてわかりやすいです」

と言っていただくことがあります。

 

私がどうして、そういう書き方をしているのか?ということなのですが

もちろん、私が経験してきた内容を分かりやすくお伝えしたいという気持ちが大きいです。

 

でも一番の理由は

私自身が「情報や知識」それ自体には意味はないんだということを嫌というほど経験してきたからなんです。

 

情報や知識は、ツールです。道具なんです。

 

料理人が使う包丁のようなものです。

その道のプロが使っている包丁を手にいれたら、一瞬で料理が上手くなって、プロの板前になれて、店に立つことができる!

なわけ、ないですよね。

 

情報も同じで、情報を仕入れたらまず、自分の人生で使ってみなければ、意味がない。

使ってみて「これは自分には合わないな」とか「自分がやりたいことには使えなかった」なんてことは当たり前。

失敗だとか思わなくていいので、これからどうするのか?を考えればいいのです。

 

それを繰り返していくと、いつのまにか「情報や知識」を選ぶ目が養われ、「情報や知識」を使いこなす感覚が養われていくんですね。

 

でも、これが経験を通していなかったら、どこかから持ってきた「ただの受け売りの情報」つまり「ただ仕入れただけの包丁」になってしまう。

 

私には「一度きりの人生を楽しくて最高のものにしたい!」という動機がまずあって、その人生に磨きをかける中で「これはいいものだ!」と思えた情報を提供したいのであって

 

自分の仕事を極めることなく「コレはプロが使っている包丁だ!」とか言って「包丁」だけ売っている板前にはなりたくないなーと思うワケです。

 

だから私は極力、実体験から学んだ「知恵」の部分や、自分の経験から実感した、ものごとの本質的なところをお伝えしようと思っています。

 

私の内側から出たものじゃないのなら、それは、私が伝える必要のないものだからです。

 

「自分じゃなくてもできることは、やらない」が、これからの時代の鉄則だと思っています。

 

 

私の経験をとおして見えたもの

実際に多くの人が経験している現実や現象、

そういったものを通して

知識や情報をお伝えすることで

 

ただ流通している「モノとしての情報」じゃなく

生きた情報になるんじゃないかなと感じています。

 

これからどんな変化が待っているのかはわかりませんが、このブログでどんどん報告していきます。

 

 

剣れいや(つるぎれいや)

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