『存在に価値がある』ということ
こんにちは、剣れいやです。
ここ数ヶ月くらい、ヨーロッパのビジネス書(日本語訳)を読んでいます。
それによって感じたのは、
ヨーロッパのビジネスとアメリカのビジネスの
根本的な価値観の違いでした。
今回は、
対照的な2つのビジネス的価値観から
自己価値、とくに女性の自己価値と
人間としての存在の価値まで
まったりと綴っていきますね。
日本のビジネスは、ほぼアメリカからの流れを汲んで
効率化を最優先とした、大量生産大量消費であるのに対し
ヨーロッパのラグジュアリーブランドをはじめとする流れは
根源的なもの、情緒的な価値、品質に重きを置いている。
もっと俯瞰して対照的にとらえるならば
アメリカ的価値観……機能的、役割としての価値
ヨーロッパ的価値観…根源的、存在としての価値
と言える。
さらに言い換えると
機能=「Do」 …成す、達成し結果を得る事に価値を見いだす「男性性」の原理
存在=「Be」 …存在自体に価値を見いだし全てを受け入れる「女性性」の原理
とも言える。
対照的だけれど
どちらかが絶対的に良いとかではなく
バランスを崩したときに、社会現象というカタチで現れる。
アメリカ的な、機能的価値基準にも重要な役割はあって
「伝統の名のもとに継続されている悪しき風習から、
より合理的で平等な価値観への移行の時期」には重要で
歴史や伝統に縛られず、新しく有用なものを受け入れていく、
斬新な改革を行う役割があると思う。
しかし、それだけで突っ走って
情緒を切り捨て、何事も合理主義になりすぎると
「存在」としての価値が希薄な社会になってしまう。
人間が、情緒的、感情的な有機体であることを忘れ
機械のように、日々ルーティンで生産ロボットのように働く。
現代に蔓延している「鬱」がそれを象徴しているようだ。
何かが善で、何かが悪なのではない。
何かが良くて、何かが悪いのではない。
すべての要素において
バランスが大事なのだ。
そういえば、
日本人女性は「若く見えるほど良い」という価値基準で、
美容に気を使うようだけれども
ヨーロッパの女性は、
「年を重ねるほど、人間的に味わい深い素敵な女性になっていく」
という価値観から、シワを年輪のように愛するらしい。
ワインのように、時を重ねて熟成される、人間としての魅力。
若い女性=「子供を産むために望ましい」という
「機能」ではなく
「存在」自体の価値を受け入れている、人間的な器の大きさ。
根源からくる、存在の価値。
それを肌身で感じ、生きていける文化。
「存在しているだけで、価値があるんだ」
と、よく耳にするけれど
どれほどの人が、その奥深いところまで味わい尽くしているのだろう。
自分を「存在ごと愛する」ことが出来たとき
自分が生みだす結果への怖れが消え
すべてのチャレンジに対しての怖れが消え
他者への怖れからくるジャッジが消えることだろう。
そうなった世界を、見てみたい。
できることなら、死ぬまでに。
その世界に近づく為にも、私は日々、学んでいこうと思う。
剣れいや(つるぎれいや)
「【女性性と男性性のバランス】女性は年齢を重ね、深みのある美しさを宿す。ヨーロッパとアメリカの対照的ビジネスの本質」へのコメント
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