うまく行っている人を見てツラいときは、自分で自分をいじめているとき。ココロの海底への自分内探検

自分が落ち込んでいる時

上手くいかない時

ショックを受けている時

 

たまたま近くにうまく行っている人がいて

楽しそうだったり

幸せそうだったり

ウキウキしているのを見ると

 

とても心がしんどくなるかもしれない。

 

そして、「幸せそうな人を見てモヤモヤしている自分」が、なんだか嫌だなと感じたら

 

モヤモヤなんて、なかったことにしようと、封印したくなるかもしれない。

 

でも、本気でそのモヤモヤをなんとかしたいなら、

そのココロの表面のさざ波を無視する以外にも、いい方法がある。

 

その表面が波立っている原因を、見てあげること。

 

そのために、

波立っているその水面の、さらに奥にあるものを見に、潜ってみよう。

 

そう。探検ってこと。

 

ちょっと怖いかもしれないけど。

 

 

いつだって、見えないものを見にいくのは、怖い。

でも、いつもココロがざわざわして、事あるごとに苦しいのは、もっと嫌だと思うんだ。

 

ココロの水面がザワザワと波立つのは

もっとずっと深いところから届く、あなたへのメッセージ。

 

ずっとココロの奥底に押し込めていた感情が、気づいてほしくて、呼んでいる。

 

 

地球の海は、私たちが潜ったら息ができないけれど

私たちの中に広がるココロの海は

いつでも私たちを受け入れてくれるし、自由に動き回れて、呼吸だってできる。

 

でも、そんな楽しくて身近なその場所に

私たちは、普段なかなか行かない。

 

私たち自身が、みずから遠ざけている場所だったりする。

 

 

なぜ、遠ざけていたのか?

 

それは、遠い記憶。

忘れたことすら忘れてしまうくらい、遠い昔にさかのぼる。

 

 

もう二度と、あの場所には近寄らない。

そう固く誓ったのだ。

 

ある日、ある時、ある場所で。

 

そう。過去のある地点で、私たちはその場所に近づくことを自分に禁じた。

 

 

その時から、ココロの中の風景は、時を止めた。

 

 

封印された、感情の海。

 

それは

どんなに悲しくても、どんなに嬉しくても

 

私たちにダイレクトに届かなくなった、あの景色のこと。

 

あのとき

あの瞬間

ありのままの自分を偽ってしまった、あのほんの一瞬のできごとが・・・

 

ありのままの自分の感情を無視してしまった

 

 

理不尽だと分かっていながら

相手のいいなりになってしまった

 

 

あの瞬間

 

相手の味方になり

自分の敵になってしまった

 

あの瞬間

 

私たちは、あの瞬間から

自分自身にとって、敵になってしまったのだ。

 

 

自分を無視し

感情を否定したその瞬間の

 

その衝撃は、そのまま

自分自身への絶望だった。

 

 

「自分なんて、もう信じない」

 

 

私たちはそのとき

ひとつのカラダを持ちながら

言葉にならない痛みとともに、真っ二つに引き裂かれた。

 

 

時は流れ

人生に違和感を覚えることも増えて

 

自分がこれまで自分に何をしてきたのかを、少しずつ理解し始めた。

 

とりあえず、アタマでは。

 

 

そうはいっても、どうにかしなければと、手当たり次第に学び始める。

 

 

ごめんなさい

愛してます

許してください

ありがとう

 

 

何度となく、自分に語りかけ

あらゆる方法で、自分を癒し、

カラダとココロを、もてなそうとする。

 

 

少しずつ、ココロが緩んでくる気がして

でも気づけばまた固く、緊張し

時に、何も感じないこともあり

 

たまに浮かんでくる、ささやかな希望すら

空虚さの中で苦し紛れに生み出した妄想なのではと、訝しむこともある。

 

 

そして、時は流れ

 

ようやく

必死の思いでようやく

 

自分と繋がれる!と思ったら

 

急に

何の脈絡もなく

不安が出てくる。

 

 

待ち構えていたかのように

 

電話がかかってきて、テンションの下がることを言われる。

偶然、嫌なニュースを見てしまう。

いきなり、苦手な人に遭遇する。

 

 

なんだか急に不安が加速する。

 

すると不安になった瞬間をついて

 

自分を疑う言葉や

自分を非難する言葉が

 

頭の中を埋め尽くしていく。

 

「ああ、やっぱり自分がおかしいのかもしれない」

「自分が間違っていたのかもしれない」

「なんて馬鹿だったんだろう」

「生きているのが恥ずかしい」

 

そんな風に思いたくなるくらいに。

 

 

 

自分で作った幻影に、だまされちゃいけない。

 

 

巧妙に仕組まれているようで

実は自分が自分に仕掛けている。

 

ここから先に行かないようにと。

 

 

「変わってしまうこと」

 

その未知の世界の怖さに比べたら

「慣れ親しんだ、これまでと同じサイクル」を選びたくなるのが、動物としての生存本能。

 

というのもひとつの理由だけど

 

 

実は、もっと深い理由がある。

 

 

自分の中にひそんでいる「あるもの」を見たくないから。なんだ。

 

 

 

 

 

この辺で、ちょっと話を戻してみよう。

 

 

うまく行っている人を見て、ザワザワする時

ココロの表面が波立っている。

 

 

どんな理由で波立っているのかは、ひとりひとり違う。

でも、確かに自分の内側に、答えがある。

 

 

自分の内側に、深く深く潜っていくと、その答えに到達してしまう。

だから、多くの人は、自分自身の内側を見ようとしない。

 

 

そして、外側にある何かや、誰かに、自分の中で波立つ感情をぶつけようとする。

 

 

 

「人は、自分と向き合う以外のことなら何でもするのだ」

ある人が、そう言っていた。

 

 

本当に、何でもするのだと思う。

その果てに、犯罪に走る人もいる。

 

きっと彼らは、自分の中のザワザワから目を背け続け、封印した感情を無視し続け、外側に見えるメッセージに苛立ちながらも、それすらも内側に封印し続け、抑圧された怒りを募らせていったのだろう。

 

自分を押し殺しながら。

 

そして、ふとしたきっかけで

あるときついに、爆発したのだ。

 

 

 

 

 

 

私たちは、今

 

自分の内側の

広大なココロの海の存在を思い出し

 

どうしても救い出さなければならない。

自分自身を。

 

 

 

 

私たちには、できる。

私たちは「自分の感情を否定し、無視する以外の選択肢」があることを知った。

 

知った時点で、それはできるのだ。

 

今は、うまくできなくていい。

すぐに、うまくできなくてもいい。

 

「知っていること」の凄さは、そこにある。

 

 

この最終試練を乗り越えよう。

 

乗り越えるまでは一人だけど、

乗り越えたあとは、乗り越えたみんなが待ってる。

 

 

「乗り越えようとしていない人」の話に、耳を傾けないように。

 

現状維持をするために

自分を酷使している人たちからスラスラと出てくる

説教にも似た言葉は、

 

あまりに常識的で、もっともらしくて、耳が痛いくらいに響いてくるけれど。

 

 

私たちが目指すのは、その世界じゃないんだ。

 

 

「10年後は、同じことで悩んでない」

そう思えるなら、大丈夫。

今は辛いかもしれないけど、大丈夫。

 

 

今は一歩一歩。

 

未来で待っている幸せな自分の姿と

今この瞬間にできることを、しっかり見つめて。

 

 

あきらめないでいこう。

 

 

 

剣れいや

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