動物的な直感で嵐を切り抜ける!捨て続けることの極意

こんにちは。

剣れいや(つるぎれいや)です

 

 

急に家の中の空気が緊張するほどの突風が唸りだし

鉛色の雲が街に向かって降りてきました。

 

 

あまりにも外が荒れているので

玄関を出て、空の様子を見てみました。

 

 

ハトが矢のような勢いでどこかに向かって飛んで行きます。

鳥たちがあちらこちらで切羽詰まった声で呼び合っています

 

不穏な天気を察知して、安全な場所に避難しているようです。

 

 

野生動物たちに天気予報なんてものは無いから

自分の動物的な勘をたよりに、生きて行くんだよな…

 

そんな様子をみて、私はふと、昔を思い出しました。

 

 

私は小さい頃から、

ものごとの表面よりも

本質を見ることばかりに興味があって

同年代の友達とちょっと感覚がずれていたみたいで

 

話が合わないことが多かったんです。

 

たまには友達と遊ぶんだけれど

基本は一人で図書館に行っていろんな本や図鑑を読みあさったり

犬と一緒に、近所の雑木林を探検したりして

なにか面白い発見がないかと、いつもワクワクするものを探していました。

 

周りに合わせるのが苦手で

自分の感覚で生きていきたいタイプだったんです。

 

そんな感じだったので

 

社会に出てからも

表面上の付き合いというのが大の苦手。

世間話もめちゃくちゃ苦手。

 

たとえ仕事であろうとも、

建前で人と関わるのがすごい苦手。

 

尊敬できないと感じた上司の元では

 

 

一瞬たりとも働かない。

心が「NO!」と言ったが最後でした。

 

 

友達からも「石の上にも3年だよ」と咎められましたが

 

人間的に尊敬できない人にくっついて

3年も学ぶくらいなら

さっさと見切りをつけて

自分が学ぶべき人を探して次の世界にとびこむ!

 

そんなスタンスで生きてきました。

 

自分の感覚を判断基準に行動してみて

結果から学ぶ。

 

20代の間、ずっとそんなこと続けていたせいか

妙な勘が働くようになりました。

 

嵐を察する野生の勘

 

しばらく勤めている会社の状況に何か異変があると

「あ、この会社、傾きかけてるな」

とか

「このままいたらまずいな」

とか、

察知できるようになっていたんです。

 

野生の勘みたいなものでしょうか。

そして、なんとか辞めることができて

1ヶ月くらいして、残っていた元同僚に話をきくと

 

「あのあと強制的に異動させられたんだよー」

「経営が傾いたらしく、本社が移転せざるをえなくなった」

「さすがに嫌になって自分も来月辞めることにした…」

 

とかいう話になっていて

 

あー、やっぱりあの直観は間違ってなかったか

という事を何度も経験しました。

 

矢のように飛んで行くハトを見て

昔の私はそんなふうに生きていたなーと

思い出したんです。

 

まあ、今振り返ると無鉄砲でしたが

 

その後、ある時期からは

 

本当に信頼できる職場に出逢えるようになり

楽しく高めあえる同僚とも出会い

充実した日々を送るようになりました。

 

その職場の中で

 

逃げずに自分の葛藤と向きあって

困難を乗り越えるような

そんな学びにも入っていくことができました。

 

 

人生には学びごとにステージがある

 

そんな経験をして思うのは

人生はずっと一本調子なのではなく

その都度、学びのステージが変わるんだということ。

 

私の過去の場合はおそらく

 

【1】本質を見抜き、自分の直観を信じるステージ

【2】辿り着いた目的地で、自分を高めるステージ

 

という移行をしたのだと思います。

 

だから、たとえば

過去は【1】のステージの判断基準で生きていたとしても

それが【2】のステージでは、すでに学んで自分の血肉になっているので、

もう同じ事を繰り返す必要は無く

 

ただ今の学びに専念すればいいだけ。

 

そのステージで学ぶ為に必要な選択肢がちゃんと現れる。

過去にこうやって成功したから・・と、過去の栄光に縛られる必要は無いってことですね。

 

 

けれども人は、

「以前は、ああやって生きてきた、でも今はこうだ、自分には一貫性がない」

とか

周りから「昔はこうだったのに…」と言われて

「自分はおかしいのか」と悩んだりしがちです。

 

しかし

学び終わったステージの

賞味期限切れの判断基準を握りしめて

意地でも同じことを続けていては

次のステージに呼ばれていても気づくことができない。

 

そして

「なんか違うな…」と感じながらも

なんとなく日々をやりすごし

また同じ事で悩みつづけることになります。

 

こうなると、もう

感覚が麻痺してきて

直観を働かせる事が難しくなっていきます。

 

もちろん、人間は

直観以外にも、様々な感覚を使って生きていますが

 

教育の中で植えつけられる

「自分を曲げてでも、周囲に合わせよ」

みたいなプログラムを受け入れすぎてしまうと

 

自分の感覚を信じる事や

成長する喜びと共に生きて行くことよりも

 

組織のために、世間体のために

自分をねじ曲げ、押し込め、

息苦しくても弱音を吐かず

本音を押し殺し

身を粉にして働くことが美徳

 

みたいな錯覚に陥るんですよね。

 

もし私が、

「自分の感覚」よりも

「自分を曲げてでも、社会に適応せよ」

のプログラムを採用して生きていたら

今より幸せな人生を送っていたか…?

 

まあ、そんなわけないですね。

って思うわけです。

 

人生の大きな変化の波に乗る

人生の嵐の前には、かならず空気が変わるときが来る。

 

その感覚をいち早く察知して

瞬時に動いて

無駄な嵐に巻き込まれずに

自分のステージを上げてより充実した人生を送るには

 

飼いならされた状態ではなく

野生の研ぎすまされた状態を

自分で作る

ということが大事なんですよね。

 

「そろそろ落ち着きなよ」

と言ってくる人は多いけど

 

「あんた、もっと野生になりなよ」

と言ってくれる人は少ないですから。

 

未知のものにチャレンジし、冒険し

経験から学び、またチャレンジしていく

この繰り返しで、人は自分の生き方を磨いていく。

 

背中を押してくれる人がいたとしても

 

実際に飛び込んでいくのは

まぎれもなく自分。

 

勇気を持って、覚悟をもって

過去に握りしめていたものを捨てて

次のステージへ。

 

自分が変われば、世界が変わる。

 

その真意は

周りを変えようと意地になるんじゃなくて

 

きっぱり過去の世界に別れを告げることによって

自分の見える世界が変わっていくんだ。

 

そう、改めて感じることができた1日でした。

人生に冒険を!

 

 

剣れいや(つるぎれいや)

 

 

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