ホスト勤務を3日で挫折した私が「幸せを説くカウンセラー」になった理由。誰も知りたがらない本当の幸せ

こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。

 

【前回の記事】もうこれ以上、受けとらなくていい!女性性を大切にすることの真の意味

からの続きです。

 

前回、他人の要求を受け入れることをやめ

「自分を自分で幸せにする」勇気を持つことの重要性についてお伝えしました。

 

今回は、

なぜ私がそこまで暑苦しく

「自分を自分で幸せにする」ことにこだわるのか?

 

 

その理由を、私の過去を交え、告白しようと思います。

 

私には欲があります。

 

私の欲とは

自分の幸せに正直に生きて、

ひとりでガンガン幸せになっていく人を増やしたい

という欲です。

 

それはなぜか。

「自分ひとりで幸せになってはいけない」という思い込みが、

止まらない悲しみの連鎖を生むことを知っているからです。

 

自分の幸せより世の中の利益。止まらない悲しみの連鎖

 

「社会の基準や常識に自分を合わせて生きることこそが正しい。

その枠から外れたら悪であり、世間様から白い目で見られる。だから罰してよい」

 

そう信じて生きてきた両親は

私にそれを強要しました。

そして、その彼らを育てた祖父母もしかり。

 

 

 

自分らしさには価値はない。

個性はジャマなので、消し去るべき。

 

人間は生きているだけでは価値がないのだから

会社の色に染まり

社会の歯車になって身を粉にして働くことこそが尊い。

 

クリエイティブなものは、評価されてこそ意味がある。

評価されないのなら、創る意味は無い。

 

社会的な評価こそが、人間の価値を決める。

価値のない人間は、どう扱われても構わない。

 

自己表現は、

それを表現したいかどうかではなく

「誰かにとって良い印象」を与えるものであるべき。

 

 

幼い頃から、気持ちで動くと、罰せられる。

ホンネで話し、行動すると、暴力を振るわれる。

 

だんだん表情がなくなり

言葉を発することもなくなりました。

 

幼い頃から受けてきた精神的、肉体的な暴力は、

私の「自分らしさ」を打ち消すには十分でした。

 

しかし、私は疑問を抱き続けました。

どうしても、疑問が消せなかったのです。

 

 

小学生だった私は

「なぜ、苦しいんだろう。なぜ、両親はこうなのだろう?」

と、教育テレビの「子育て」の番組を見て「正しい子育て」を学んでみたり

 

 

ニュースをみては

「なぜ、戦争や犯罪があるのだろう」と考えていました。

 

そして、

 

世界中の人が、1分でも、1秒でもいいから

みんなで一緒に「幸せ!」と思える時間を作ったら

その一瞬は平和になるのだろうか?

 

と考えたりもしました。

(今思えば、地球上の時差は考慮していなかったですね・・・)

 

高校に入ると

学校の図書館や、帰り道の書店で

必死で心理学の本を読んでいました。

 

自分が置かれている状況を、理解したかったんだと思います。

なぜ虐待が存在するのか
なぜ犯罪が存在するのか
なぜ戦争が存在するのか

「幸せ」に対する素朴な疑問を、捨てきれなかったのです。

 

 

しかし、大人になるにつれ

そんな疑問を抱いていたことも忘れ

恋愛中毒、買い物中毒、借金中毒になっていきました。

 

クリエイティブな職業にあこがれ、

学校に通い知識を得て

新卒で正社員として入社するも、

サラリーマン的な業務に耐えられず、さらに自分自身がLGBTであることを隠して生きることが苦しすぎて3ヶ月で辞め、自己嫌悪に陥りました。

 

自分なんか社会の底辺の人間。役立たずだから、死んでも誰も悲しまない。

そう信じて、ますます自暴自棄になっていきました。

 

世の中に自分の居場所なんか無い。

自分の性別もよく分からない人間のクズだ。

 

そう思っていました。

 

LGBTとしての自分を偽らずに、

一般的な人間を演じずに社会の中で生きる方法を考え

変わった性別のホストとしてなら必要としてくれるかもと思い

歌舞伎町のミックスバーというところの門を叩きましたが

 

お客様を目の前にしても

本質的な話題にしか興味がないので世間話ができず、お世辞も言えず

遺伝でアルコールが呑めないため一気呑みができず3日で挫折。

 

 

私を仲間として受け入れてくれた、

とてつもなくプロ意識の高い、バーのママや先輩方にも迷惑をかけてしまった。

 

ボロ雑巾のようになった私は、

 

こんな何の役にも立たない人間は

そろそろ本格的に死んだほうがいいのかもしれない

 

と思いました。

 

 

その後、なんとか必死に探しまくり、

本業にできる仕事を見つけ、職人として10年間頑張り

自営業までこぎつけました。

 

しかし

 

気づけばこんどは

仕事中毒、ボランティア中毒、自己啓発、スピリチュアル中毒といったふうに

 

いつのまにか、またしても

満たされない「何か」をかき消すように、生きてしまっていました。

 

なんだろう・・・

社会的には問題なくなった。

ひとの役に立っているし

評価もされている。

なのに

なんか幸せじゃ無い、この感じ。

 

 

たまに、仕事中に

「このまま続くなら、もう生きてても意味ないな」

という思いが沸き起こったりしました。

 

しかし

私の魂は相当しぶといらしく

本来の自分の人生を生きることを、諦めきれなかったようでした。

 

 

そして、いつしか

 

自分とは何か?

幸せとは何か?

平和とは何か?という、

 

幼い頃の素朴な疑問に

まるで導かれるように戻ってきたのです。

 

 

 

そして、ついに

人生をかけて学んだ私の答えが、出てしまいました。

 

それは、おそらく、誰も知りたがっていないことでした。

 

 

「ありのままの自分には価値がない」という思い込み

 

ありのままの自分には価値がない

 

その前提が人の認識を歪め、社会を歪め、

私たちが生きる、この時代まで続いてきた、ということ。

 

 

それを知りました。

 

いじめ、DV、モラハラ、犯罪、差別、戦争

すべての悲劇の始まりは

 

「ありのままの自分には価値がない」

 

という、悲しい思い込みだったのです。

 

 

ありのままでは価値がないから

 

 

「誰かのために何かをしなければ価値がない」という結論になり

 

その前提があるから

 

「誰かのために何かをしない人間には価値がない」という結論になり

 

その前提があるから

 

「誰かの役に立っていない人間は、改心させなければいけない」という結論になり

 

その前提があるから

 

「誰かの役に立っていない人間は攻撃していい」という結論になっているということ。

 

 

その結果、世の中は

 

もともと、女性にも男性にも備わっている

「女性性」という、唯一無二の個性、いのち自体の存在(Be)エネルギーを無価値なものとして意味づけをし

 

社会的に物事を成し遂げたり、行為自体を指す

「男性性」(Do)というエネルギーだけに価値があると思いこんだのです。

 

 

そして結果、何が起きているのか。

 

社会的に何も成し遂げていない者や

権力を持たないものは

無価値なものだから、どう扱っても良い

暴力を振るっていい

 

だから

 

女性、男性かかわらず、

人を押しのけてまで勝つことに

抵抗を覚えるタイプ

 

つまり

感受性が強く、優しい

受け入れる性質を強く持っている

 

そんな

女性性の強い人が

 

男性性が過剰となった社会のストレスの受け皿となり

 

暴力的な要求をすべて受け止め

人権をも無視されるような役割になってしまっているのです。

 

ホームレスの方や、高齢者、障害者の方に対する暴力事件があったり

社会に出ていない女性や、子供、大多数と違うというだけの人たちである社会的少数者(マイノリティ)が被害に遭いやすいのはそのためです。

 

 

この社会に蔓延している苦しみや悲しみ、犯罪や戦争さえも

悲しい「思い込み」から始まっていた。

 

 

みんな勘違いしてるだけ。なのに。

 

 

「ありのままの自分には価値がない」

という、悲しい勘違いを。

 

 

それを知った私は、絶望しました。

 

 

私の人生で味わった苦しみが、

 

両親や、それに続く先祖代々の

悲しい思い込みによって突き動かされ、

代々受け継がれてきたものだった。

 

そして、それが今日のストレス社会を形成していた。

 

 

言葉にならない絶望。

 

 

でも、こればかりは

 

ひとりひとりが受け入れなければ、変わることはない。

 

 

言葉で聞いたからといって

「自分には価値があったんだ。へー、そっか、じゃあそれで!」

とはならない。

 

これまで感じてきたことを、自分の感情を、自分で認めるしかない。

 

 

それは辛いことだ。

とてつもなく苦しく、しんどいことだ。

 

私が強制することもできない。

 

 

そう悟った私は、決めたのです。

 

相手に、

分かってほしいと詰め寄ることもやめ

受けれいれてほしいと要求することもやめ

 

自分で自分を受け入れていこう

自分で自分を幸せにしよう。

 

そう決めたのです。

 

 

それは、私という人間が生まれるまで連綿とつづいてきた、ひとつの連鎖を立つための決断でもありました。

 

他人に理解を求めることをやめ、自分を幸せにすると決めた

 

親、昔の知人、友人、仕事仲間

すべての人に理解を求めるのをやめ

 

自分を幸せにすることだけに集中することを決意しました。

 

 

「自分には価値がない」前提の社会において

そんな行為は

わがままで、自分勝手で、悪に見えるかもしれない。

 

でも、

それでもいい。

なんと言われようが構わない。

 

自分だけは、裏切りたくない。

 

 

自分を幸せにすることで、

はじめて自分の内側が満たされ、幸せになる。

 

それが、月並みな言い方をすると平和という状態なのだ。

 

 

私が幼い頃に、

ささやかに望んでいた平和とは、

目指すものではなく、

反戦運動をすることでもなく

 

自分自身が満たされた状態のことだったのだ。

 

 

平和とは、なろうとしてなるものではなく

 

自分の想いを大切にし

自分を幸せにした結果のことだった。

 

 

 

だから、全力で、自分で自分を幸せにする。

 

それ以外に、人生でやることなんか無いんだって、分かってしまったから。

 

 

 

 

 

今回は、個人的な思いが入りまくってしまいました。

苦しかった過去を打ち明けるのは、けっこう勇気がいりました。

辛すぎて思考が止まりそうになりました。

 

でも、今回の記事で

私が伝えたかったことが、少しでも伝われば幸いです。

 

 

前回の記事をまだ読まれてない方は、

この記事の【前編】として書いた記事がありますので、

そちらもあわせて読まれると、より分かりやすいかと思います。

 

 

 

それではまた。

 

 

剣れいや(つるぎれいや)

「ホスト勤務を3日で挫折した私が「幸せを説くカウンセラー」になった理由。誰も知りたがらない本当の幸せ」への 2 件のコメント

  1. ありのままでは価値がない
    生きているだけではいけないという無言の強制によって、
    私も自分にムチ打って生きてきてしまいました。
    心は泣いて、叫んで、疲れ果てていたのに、
    さらに引きずり回してしまいました。そして病気になりました。

    レイヤさんの心の軌跡は、我が事のように思えます。
    ただ私には、レイヤさんのような
    心のもやもやを、明確な言葉にすることもできず、
    また強い決心や決断力が欠けていました。

    いつも、のめりこむようにコラムを読んでいます。
    続きを楽しみにしています。

  2. ”3日で挫折”の文字が目に入り、こちらの記事を読ませて頂きました。
    私も今、勤務3日目で挫折しそうになっているからです。

    ”全力で自分で自分を幸せにする”とても素敵な言葉だと思いました。
    そのための行動はすぐに方法は思いつかないけれど、
    まず自分を幸せにする!!と固く決意することから始めてみます。

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